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大阪高等裁判所 昭和25年(を)3573号 判決 1950年6月29日

被告人

吉田稔

主文

本件控訴はこれを棄却する。

理由

弁護人大田周市の控訴趣意第一点について。

刑法第百七十五条にいわゆる猥褻の文書図書なるがためには人の性慾を刺戟興奮または満足させるものであつて人をして羞恥厭悪の念を生ぜしめる程度のものであり、これが判定にあたつては社会習俗の変遷をも考慮すべきこと所論のとおりである。

おもうに終戦後の性に関する社会思潮習俗は特に急激な変貌を呈しさらに出版物検閲制の廃止と相俟つて淫靡卑俗な煽情的文書図画が滔々として巷に横行犯濫する事実は蔽い難いところであり、一般人のかゝる出版物等に関する感度も相当鈍化の傾向を示し猥褻性に対する社会一般の評価また昔日の準繩をもつて律し得ざるに至つた事実は率直に認めざるを得ないのであつてこのことは、文書図画の猥褻性に関する法律的評価にあたつても十分顧慮せらるべきこと勿論である。ところで、およそ文化の進展はけつして一般性道徳向上への期待を等閑視するものでなく、法律もまた性関係における社会秩序を維持し善良な風俗を保護することを目的として一定の性風俗に関する犯罪を規定するのである。すなわち刑法は不健全な猥褻感情を挑発し一般性道徳の頽廃を促し青少年の堕落不良化を誘発する等幾多憂慮すべき事態を招来するおそれがあるような文書図書を頒布販売し又は公然これを陳列する者を処罰するのであるが昭和二十二年の刑法の一部改正に当つて第百七十五条の罰則の強化はまさに世相に鑑みるところがあつたに外ならない。

かくのごとくにして、ある文書図画が法律上猥褻性を有するか否かの判定は、以上法律的理念に前記社会の実情を加味参酌しその矛盾なき調和の下になさるべきこと勿論であるが、かゝる際に留意すべきは、単に問題となつた一定の部分だけで十分判定できる程度に猥褻性濃厚な場合は格別、当該部分を含む全体を観察して総体的関連においてはじめて妥当な判定をなし得る場合も少くない点である。

例へば、ある文学的作品中の一部の描写が一見煽情的な印象を受ける箇所があつても、全体的にその作品がすぐれておりその気品、表現が高尚であれば右部分の存在が読者に与える卑猥感は高度の文学的魅力と有機的に結合し著しく和らげられ、卓越せる芸術的価値中に埋没吸収され読者にいだかせる羞恥厭悪の念はきわめて稀薄となり法律的評価としての猥褻性は阻却否定される場合もあり得るであろう。これに反し問題部分の表現では以上と酷似していても全体として何ら吾人の芸術的感興を唆るものなくむしろ名を文学的作品に籍り筋書のごときは単に描写のもつ猥褻性糊塗の一手段としか認められないような状態においてなされた場合には読者の受ける卑猥感は何ら払拭すべきものなく、とうてい作品のもつ猥褻性を否定し得ない次第である。

これを原判決挙示の証拠にみるに、本件雑誌奇訳クラブ新綠増大号中にはアトリエ騒動、閨房殺人事件なる題下に変態男女の痴態、あるいは交接を故らに暗示する記述や裸婦の両手を縛し背後から強姦しようとする場面を描写した記述挿画を掲載した部分があるが、その記述描写たるや、きわめて露骨卑猥であるのみならず、その全文を通読してもその意図専ら性的好奇心の挑発と煽情的雰囲気の醸成に存するかのごとき観あり、そこには何ら吾人の高尚な情操に共感寄与する文学的魅力なく徒らに不健全下劣な性愛遊戯もしくは安価な性的葛藤の露骨な暗示等の外何ものもないのであつて、かくのごときはただに人をして羞恥厭悪の念を生ぜしめるに止まらず、現今の社会情勢下においてかかる文書等の販売を放任するにおいては、明らかに健全なる性に関する風俗を紊し社会風致上著しき弊害を及ぼすべき虞あるものと断ずるのが相当であるから、前叙にてらすもとうていその猥褻性を否定すべき理由を発見し難く、畢竟刑法第百七十五条にいわゆる猥褻文書図書なりと断ぜるを得ない、論旨は理由がない。

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